7月3日の優生保護法の不妊手術に関する規定を違憲とし、損害賠償請求について除斥期間の主張を制限した大法廷判決について書いていきます。
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- 裁判体は大法廷で、全員一致です。宇賀裁判官が意見を、三浦裁判官・草野裁判官がそれぞれ補足意見を述べています。宇賀意見は、改正前民法724条を除斥期間とた平成元年判決等は変更されるべきとするもので、三浦補足意見はそれに応答する内容を含むものになっています。
- 事実関係は判決文のとおりです。
- 本判決の実質的判断部分は、以下のような構成になっています。
- 結論を先出しする部分(5)
- 本件規定に係る立法行為の違法性及び除斥期間経過による損害賠償請求権の消滅を認めることが著しく正義・公平の理念に反することを述べる部分(6)
- 本件規定に係る立法行為は国家賠償法1条1項の適用上違法であることを述べる部分(6(1))
- 請求の概要を述べる部分(6(1)ア)
- 本件規定が憲法13条、14条1項に違反する理由を述べる部分(6(1)イ)
- 本件規定が憲法13条、14条1項に違反するとの結論及び当該規定に係る立法行為は国家賠償法1条1項の適用上違法であることを述べる部分(6(1)ウ)
- 本件における上告人(国)の除斥期間の主張は、信義則に反し、権利の濫用として許されないことを述べる部分(6(2))
- 改正前民法724条の趣旨が本件には妥当しないことを述べる部分(6(2)ア)
- 本件に関連する事情を述べる部分(6(2)イ)
- 上記の諸事情に照らすと本件訴えが除斥期間の経過後に提起されたということの一事をもって上告人が損害賠償責任を免れることは、著しく正義・公平の理念に反し、到底容認することができない旨を述べる部分(6(2)ウ)
- 本件規定に係る立法行為は国家賠償法1条1項の適用上違法であることを述べる部分(6(1))
- 改正前民法724条の解釈及び信義則による主張制限を述べる部分(7)
- 損害賠償請求権が除斥期間の経過により消滅したものとすることが著しく正義・公平の理念に反し、到底容認することができない場合には、除斥期間の主張が信義則に反し、権利の濫用として許されないと判断することができることを述べる部分(7(1))
- 本件の事実関係の下では、除斥期間の主張は信義則に反し、権利の濫用として許されないことを述べる部分(7(2))
- なお、この若干分かりにくい構成は、除斥期間に関する平成10年判決、平成21年判決の構成の影響によるものではないかと思います。両判決と本判決は、著反正義・公平を認定した上で、それを法的効果に「変換」するという構造を取る点で共通しており、その「変換」に使われたのが、時効中断規定の「法意」なのか、訴訟上の信義則なのかという点で異なっています。
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- 本判決の憲法13条違反に関する解釈は以下です。
- 「憲法13条は、人格的生存に関わる重要な権利として、自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由を保障しているところ(最高裁令和2年(ク)第993号同5年10月25日大法廷決定・民集77巻7号1792頁参照)、不妊手術は、生殖能力の喪失という重大な結果をもたらす身体への侵襲であるから、不妊手術を受けることを強制することは、上記自由に対する重大な制約に当たる。したがって、正当な理由に基づかずに不妊手術を受けることを強制することは、同条に反し許されないというべきである」。
- 本判決の13条に関する当てはめは以下です。
- 「…平成8年改正前の優生保護法1条の規定内容等に照らせば、本件規定の立法目的は、専ら、優生上の見地、すなわち、不良な遺伝形質を淘汰し優良な遺伝形質を保存することによって集団としての国民全体の遺伝的素質を向上させるという見地から、特定の障害等を有する者が不良であるという評価を前提に、その者又はその者と一定の親族関係を有する者に不妊手術を受けさせることによって、同じ疾病や障害を有する子孫が出生することを防止することにあると解される。しかしながら、憲法13条は個人の尊厳と人格の尊重を宣言しているところ、本件規定の立法目的は、特定の障害等を有する者が不良であり、そのような者の出生を防止する必要があるとする点において、立法当時の社会状況をいかに勘案したとしても、正当とはいえないものであることが明らかであり、本件規定は、そのような立法目的の下で特定の個人に対して生殖能力の喪失という重大な犠牲を求める点において、個人の尊厳と人格の尊重の精神に著しく反するものといわざるを得ない。」
- また、なお書きとして、本人同意が要求される場合の不妊手術についても、以下のとおり述べています。
- 「なお、本件規定中の優生保護法3条1項1号から3号までの規定は、本人の同意を不妊手術実施の要件としている。しかし、同規定は、本件規定中のその余の規定と同様に、専ら優生上の見地から特定の個人に重大な犠牲を払わせようとするものであり、そのような規定により行われる不妊手術について本人に同意を求めるということ自体が、個人の尊厳と人格の尊重の精神に反し許されないのであって、これに応じてされた同意があることをもって当該不妊手術が強制にわたらないということはできない。加えて、優生上の見地から行われる不妊手術を本人が自ら希望することは通常考えられないが、周囲からの圧力等によって本人がその真意に反して不妊手術に同意せざるを得ない事態も容易に想定されるところ、同法には本人の同意がその自由な意思に基づくものであることを担保する規定が置かれていなかったことにも鑑みれば、本件規定中の同法3条1項1号から3号までの規定により本人の同意を得て行われる不妊手術についても、これを受けさせることは、その実質において、不妊手術を受けることを強制するものであることに変わりはないというべきである。」
- コメント
- 本判決は13件目の法令違憲判決(裁判)ですが、目的自体を違憲としたのは初めてです。もともと目的と手段というのは相対的かつ恣意的なものであり、裁判所は通常、目的と手段の連鎖の中で両者の繋がりが最も脆弱な箇所を切り取ってテストしますが(そうすることで最も精緻な分析ができます)、それゆえに目的自体が違憲とされることは通常はありません。本件においては、事案がそれを乗り越えさせたのだと思います。
- また、今回の違憲性の論証は極めて力強く、言い換えればラフに感じます(「正当な理由」という判断枠組みを含め)。政府も違憲性は争っていない以上自然なことであり、また目的自体を違憲とした以上ある程度必然的なことでもありますが、それだけ「酷い」事案だったということだと思います。それでも一応は違憲審査の形を取ったのは、草野裁判官が述べるとおり、「為政者が憲法の適用を誤ったとの確信を抱くに至った場合にはその判断を歴史に刻印」することが裁判所の役割だと考えたからなのだと思います。
- 判決は、大枠としては性同一性障害特例法違憲判決で認められた「自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由」の制約をテストしていますが、「憲法13条は個人の尊厳と人格の尊重を宣言している」とも述べています。憲法13条は、実務では(公法関係においては)ほとんど専ら私生活上の自由に関するものとして捉えられていますが、優生保護法が制定されたのと同じ昭和23年、それが個人の尊厳と人格の尊重を宣言したものである旨述べており、また、大法廷は、昭和48年、初めての違憲判決においてこのことを確認しています。
- 判決は、生殖能力の喪失についても言及していますが、不妊手術の結果として位置付けられています。身体的侵襲と生殖能力の喪失では一般的には前者のほうが重大だと思われるため、本件で上記のような整理がされたことは不自然ではありませんが、リプロダクティブライツを憲法上の権利として明確に位置付けたわけではないことに留意する必要があります(性同一性障害特例法違憲判決も同じでした)。
- 判決は、同意について、同意を求めること自体が個人の尊厳と人格の尊重の精神に反すること、自由な意思に基づく同意は想定しがたいことを述べています。同意を求めるというのは、政府が対象者に対して「あなたは生物として劣等だ」というメッセージを伝えることを意味し、同時に第三者に対して「彼(女)は生物として劣等だ」というスティグマを発信することを意味します。これは端的に言えば、政府による侮辱行為であり、判決はそのことを言っているのではないかと思います。一方、同意の有効性という観点は、性同一性障害特例法のほか、令和3年の夫婦別姓に関する大法廷決定に対する三浦意見、宇賀=宮崎反対意見にも表れていたものです。不妊手術を更に進めたのがナチスドイツの安楽死ですが、周囲からの圧力という要素は、現代的な「自己決定による安楽死」の議論においてもしばしば問題とされます。
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- 憲法14条1項に関する判断は極めて簡潔であり、待命処分事件、尊属殺違憲判決を引用し、「本件規定は、①特定の障害等を有する者、②配偶者が特定の障害等を有する者及び③本人又は配偶者の4親等以内の血族関係にある者が特定の障害等を有する者を不妊手術の対象者と定めているが、上記のとおり、本件規定により不妊手術を行うことに正当な理由があるとは認められないから、上記①から③までの者を本件規定により行われる不妊手術の対象者と定めてそれ以外の者と区別することは、合理的な根拠に基づかない差別的取扱いに当たる」としています。
- このことは、本件とは別の文脈で示唆的です。本件は、一般的には障害者差別の文脈で捉えられているように思いますが、憲法14条1項の確立した解釈である「合理的な根拠に基づかない法的な差別的取扱いの禁止」は、前者の「差別」とは若干異なっているように思います。むしろ、最高裁の用語法においては、「個人の尊厳と人格の尊重」に反することこそが、一般的な意味での「差別」の本質なのではないかと思います。このことは、既にヘイトスピーチに関する下級審判例等にも表れていたところですが、ほとんど専ら13条の判断に依存する形で14条1項の判断を示した本判決は、そのことを裏付けているのではないかと思います。
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- 本判決は、特に理由を述べることなく「本件規定の内容は、国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白であった」として、「本件規定に係る国会議員の立法行為は、国家賠償法1条1項の適用上、違法の評価を受ける」としています。
- 本判決は在外国民投票権違憲判決と再婚禁止期間違憲判決の両者を引用しています。両者が述べた規範は異なっており(後者のほうが緩和されています)、本判決が事実の評価として使用しているのは前者のフレーズですが、より厳しい前者の規範でもクリアするという趣旨でしょうか。
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- 主張制限についてはまだ理解しきれていないところがあるので細かくは書きません。ざっくり問題意識を書くと、平成元年判決は、「裁判所は、除斥期間の性質にかんがみ、本件請求権が除斥期間の経過により消滅した旨の主張がなくても、右期間の経過により本件請求権が消滅したものと判断すべきであり…」としていました。本件で主張制限を認めるためには「…判断すべきと(まで)はいえない」とすれば足りるようにも思われますが、本判決はそれを超えて「…と判断するには当事者の主張がなければならない」としており、それがどのような趣旨なのかよくわかりません。平成元年判決が(援用が必要ないことを超えて)弁論主義を認めない趣旨だとすれば、それを修正するのは分かるのですが、同判決の調査官解説からはそのような趣旨は窺われません。
- いずれにしても、今後仮に民法改正施行前の立法行為(・立法不作為)について国賠訴訟が提起され、請求が認められた場合、基本的には主張制限を適用する方向でよいのではないかと思います。国家賠償法1条1項は公権力行使を対象としているところ、憲法前文が述べるとおり、その権力は国民全体から信託されたものであり、国民共通の利益のために行使されるものであり、優生保護法も、少なくともその意図においては、国民全体の遺伝的素質を向上させることで国民共通の利益を図ろうとして制定されたものです。そうであるとすれば、違憲の立法行為がされた状態は、国民の代理人である国会議員が判断を誤ったことで、政府が特定の国民のグループから不当に価値を奪い、国民全体に配分してしまった状態と評価でき、事後的に行動するとすれば、損害賠償と税金という形でそれとは逆の価値の移転を行うことが正義に適うはずです(実際には国民が得た「価値」は無価値と評価されるべきものであり、国民は損失を被ることになりますが、それは、国民全体が自ら判断を誤ったことないしその代理人である国会議員のコントロールを誤ったことによる損失なのであり、感受して然るべきものだと思います)。草野補足意見の「上記に述べた心理的・経済的コストは国家の受益者でもあるところの現在及び将来の国民によって分散して負担されることに鑑みるならば…」という記述は、上記とは若干異なる文脈でなされたものですが、基本的な考え方は共通しているように思います。
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- 本判決は全体としてテクストが練られていないように感じます。それは必ずしも悪いことではなく、限られた時間(三浦補足意見の最終段落参照)の中で、裁判官の間で実質的な議論が交わされ、修正が繰り返されたことの表れなのではないかと感じます。
- 本件に限りませんが、近時の最高裁では、三浦裁判官、草野裁判官、宇賀裁判官のような「外部」出身の裁判官が鋭くかつ理論的根拠を伴った問題提起をし、「内部」出身の裁判官がそれに真摯に応答することが行われており、前日の米国連邦最高裁(Supreme Court Says Trump Has Some Immunity in Election Case - The New York Times)とは対照的だと感じます。
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- 草野裁判官は「本件において注目すべきことは、本件規定の違憲性は明白であるにもかかわらず、本件規定を含む優生保護法が衆・参両院ともに全会一致の決議によって成立しているという事実である」とし、「違憲であることが明白な国家の行為であっても、異なる時代や環境の下では誰もが合憲と信じて疑わないことがある」と述べています。また、判決は、「法律は、国権の最高機関であって国の唯一の立法機関である国会が制定するものであるから、法律の規定は憲法に適合しているとの推測を強く国民に与える」と述べていますが、国会議員や裁判官もこの推測から自由ではないように思います。違憲審査(それは最終的には最高裁によって行われますが、国会議員も憲法尊重擁護義務の一環としてセルフレビューを行う義務があります)は、究極的には多数派の意思決定が国民共通の利益に適合しているかを審査するものであるところ、その営みは、常に集団思考(groupthink)と隣合わせだということです。
- 優生保護法は1996年に改正されましたが、その改正は優生政策を排除するにとどまっており、残りの部分は母体保護法として生き続けています(例えば「旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律第21条に基づく調査報告書」の第1編第5章「優生保護法から母体保護法へ―平成8年改正以降―」をご参照ください)。同法は、人工妊娠中絶の根拠法として知られていますが、「母性の生命健康を保護することを目的」としており、「(指定医師は)本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる」としています。これらの文言は、政府が妊娠女性を手段として扱っている(このような文脈で:Treating Persons as Means (Stanford Encyclopedia of Philosophy), Bundesverfassungsgericht - Decisions - Authorisation to shoot down aircraft in the Aviation Security Act void)ことを窺わせますが、より実際的な問題は、配偶者の同意が必要とされていることです(Abortion in Japan is legal, but most women need their husband’s consent - The Washington Post、中絶「配偶者の同意」要件、産婦人科医7割「撤廃すべき」…DVや強制性交被害の例も : 読売新聞、女性の中絶決定権尊重/共産党 刑法など改正案提出)。この合憲性を、バイアスを排除して考えることはできるでしょうか。
- 個人的には、この要件が保護するもの(目的)として、①胎児の生命と②子を持ちたい男性配偶者の利益が考えられるところ、②については(i)「母体外において、生命を保続することのできない時期」という別の要件で図られていること、(ii)そもそも生命の要保護性が女性の配偶者の意思によって左右されるとすることは不合理であること、(iii)そもそも配偶者は子の親であるとは限らず、子の保護者として行動することが期待されているようには見えないこと(人工妊娠中絶を行うことができる場合として暴行等により姦淫されて妊娠した場合を規定する14条1項2号は、明らかにそのようなケースを想定しています)からすれば、そもそも目的とは考え難く、①は一応保護に値するとしても「婚姻を継続し難い重大な事由」として考慮すれば足り、妊娠の拒否権を与える理由にはならないと考えられます(なお、実際には妻が夫に無断で中絶するなんてありえない、中絶が必要になるのはふしだらな妻であり、中絶は家長の不名誉だくらいの発想なのだと思いますが、議論に値しないので置いておきます)。憲法13条から胎児の生命を終了させる「中絶の権利」を導くことができるか、生命保護の必要性はその制約を正当化するかについては議論がありうると思いますが(なお、日本と似た法的/社会的環境にある韓国では、2021年に憲法裁が堕胎罪を違憲とする決定をしていますが、その際、自己決定権が根拠とされています)、少なくとも、同じ状況の下で同意を取得できた人とそれを拒否された人を仮定し、彼女たちに対する政府の差別的取扱いの合理性を問題とする限り、合憲性を認めることは困難なように思います。