総務省の「デジタル空間における情報流通の健全性確保の在り方に関する検討会とりまとめ(案)」について、前回の記事 で検討の方法について若干のコメントをしましたが、その後いくつか思ったことがあるので、それについて書いていきます。
(追記:当初事情を分かっている人向けに書いていたのですが、国民全体に関わる問題だと思ったので「何が起きているのか」を追記しました。能力とリソースの制約のため、それでも分かりにくいところがあるかと思いますが、ご容赦ください。)
何が起きているのか(追記)
- EUでは、偽・誤情報(要すれば誤った情報)の拡散によるリスクに対処するために、デジタルサービス法(Digital Services Act, DSA)が制定されている。同法は、SNSに対し、コンテンツモデレーション(典型的には投稿内容の監視と削除)を義務付けるとともに、偽・誤情報の流通・拡散のリスクを発生・増幅させる構造的なリスク(「システミックリスク」と呼ばれている)について、リスクアセスメントとリスク緩和措置を義務付け、それらの不遵守について、全世界の年間売上高(利益ではない)の最大6%の制裁金を用意している。一方、日本政府(特に総務省)はこれまで表現規制について慎重な姿勢を取ってきた。
- しかしながら、今回、日本政府は、政治家のディープフェイク動画(「首相偽動画」が拡散、精巧化するディープフェイクのリスク 技術向上で簡易に - 産経ニュース)、能登半島地震における偽・誤情報の流通・拡散(地震や事故後、SNSで相次ぐデマ 表示数稼ぎも「拡散前に疑って」 [能登半島地震] [石川県]:朝日新聞デジタル)、著名人のなりすまし広告(SNS広告、メタなど5社に審査強化を要請 総務省 - 日本経済新聞)などの事案を受けて、総務省情報流通行政局を事務局として、昨年11月から「デジタル空間における情報流通の健全性確保の在り方に関する検討会」を開催し、SNSに対するコンテンツモデレーションとシステミックリスクマネジメントの義務付けと、SNS・アドネットワーク等に対する広告審査の義務付けについて検討してきた。今回、その取りまとめ案が公表された(8月20日までパブコメ対象)。
- 今回公表された資料は、353ページからなる取りまとめ案、1ページの概要資料、11ページの概要資料の3種類である。概要を把握したい場合、まず、11ページの概要資料を読んだ上で、前回の記事の「偽・誤情報への対処(別紙第2章〜第4章)」パートと「デジタル広告の適正化(別紙第5章、第6章)」パートに目を通し、適宜取りまとめ案の別紙部分(PDFの310ページ以下)を参照することをおすすめする。
偽・誤情報対策は経済安全保障政策の一つである
- 検討会ではほとんど言及されていないが、小林鷹之前経済安全保障担当大臣が、偽・誤情報対策は経済安全保障政策の一つであることを明言している(Economic security is about strengthening and sustaining growth, former minister says - The Japan Times. "What are the most pressing challenges?"との問いに対し、サイバー安全保障の強化と偽・誤情報対策である旨答えている)。
- なお、このインタビュー記事では、外からは見えにくい(かつ怪しい言説も多い)経済安全保障政策の全体像がかなりクリアに説明されており、ぜひ参照されたい。
- もちろん、例えば中国政府がSNSを通じて日本の世論を操作し、それによって安全保障政策についての合意形成が阻害されることがあるとすれば、我が国としても放置できない事態なのは間違いないが(米国のTikTok禁止法はまさにこのような懸念に基づく)、政府による濫用リスクが極めて高い局面であることは否定できず、経済安全保障政策の側面があることを明確にした上で、正面から議論すべきである。
事実に基づき具体的に議論する必要性
- 前回の記事にも書いたが、とりまとめ案は、民間の調査結果を特に検証することなく「〜という調査結果もある」という形で引用したり、有識者の発言を特に検証することなく「〜という指摘もある」という形で引用したり、個別的なエピソードの普遍性を検証することなく一般化したりするという手法が目立つ。しかしながら、表現規制、特に表現内容の規制を議論するにあたっては、(規制を正当化するだけの普遍性のある)リスクを具体的に特定し、検討される規制手段が本当に当該リスクの低減につながるのか、つながるとしても他に表現の自由に対する影響がより小さい手段によっても十分な効果が得られるということはないかを具体的に検討する必要がある。とりまとめ案は、コンテンツモデレーションの必要性を前提に、規制手段どうしを比較しているように見えるが(個人的にはその一事をもってしても政府の規制能力に不安を感じざるを得ない)、本当にそのような必要性があるのかどうかから検討を始めるべきである。
- 例えば、震災時における虚偽の救助要請のエピソードがしばしば語られるが(56ページに引用されている)、情報伝送PF事業者はその真偽を判定する手段を持たないのであるから、それによる救助活動の阻害を防止する上でコンテンツモデレーションは役に立たない。むしろ「間接的・付随的規制」である偽計業務妨害罪による威嚇が有効であろう。
これまでの政府のオペレーションの検証の必要性
- コロナ対策では厚生労働省がインフルエンサーマーケティングを行ったが、同省はそれに関する文書の開示を拒否している(厚労省、偽情報対策の報告書2700頁超を不開示 ワクチン接種促進「世論形成」目的で3年間実施(楊井人文) - エキスパート - Yahoo!ニュース)。安全保障の文脈では、2021年に、防衛省が同様にインフルエンサーマーケティングを行おうとしていたことが明らかになっている(防衛省、芸能人らインフルエンサー100人に接触計画 予算増狙い:朝日新聞デジタル)。さらに、2010年代には、自民党関係者が自ら偽・誤情報の流布を委託していた疑いがあり、これが世論形成ひいては選挙に影響した可能性がある(野党批判「Dappi」運営会社は”もぬけの殻”…自民党議員の政治団体と取引、疑惑ぬぐい切れず | AERA dot. (アエラドット))。
- もちろん、インフルエンサーマーケティングも、政府案件であることを明示し、かつその内容が適切なのであれば、世論を換気し、国民の合意形成を図る手段として認められてよい。しかしながら、本当に適切に行われたのか、その効果があったのかについては、国民の検証に晒されて然るべきである。そして、本格的な偽・誤情報対策をするのであれば、適切なリスクコミュニケーションのあり方を考えるためにも、また、偽・誤情報対策の濫用リスクを分析し、適切なセーフガードを設計するためにも、上記のオペレーションの実態を調査し、検証する必要がある。
- その上で、厚労省がそうである可能性があるように、政府がそのオペレーションについて不当に情報開示を拒否する可能性があるのであれば、情報公開法の強化も検討すべきである。
放送行政の教訓を踏まえる必要性
- 今回の検討会の事務局となっているのは、総務省情報流通行政局(かつての放送行政局)であるが、彼らには、放送への介入の長い歴史がある(さしあたりオープンなものとして笹田佳宏「番組編集準則の政府解釈の変遷」)。
- 放送法制定当初、郵政省は番組編集準則に法規範性はないとの解釈を示していたが、1993年の椿事件をきっかけに番組編集準則は法的義務であり、その違反があったときは電波法の規定に基づいて電波の停止を命じることができる旨の解釈を示すようになった(放送法:テレビ朝日「椿発言」問題から30年 政治的介入の発端 放送法の番組編集準則に強制力 | 毎日新聞)。
- さらに、国会で平和安全法制が審議されていた時期に、当時の高市総務大臣は、特定の番組を念頭に、放送事業者の番組全体を見て判断した結果公平を欠く場合があるだけでなく、「一つの番組のみでも、国論を二分するような政治課題について、放送事業者が一方の政治的見解を取り上げず、殊更に他の政治的見解のみを取り上げてそれを支持する内容を相当の時間にわたり繰り返す番組を放送した場合のように、当該放送事業者の番組編集が不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められる場合といった極端な場合においては、一般論として政治的に公平であることを確保しているとは認められない」との新たな解釈を答弁し、大きな萎縮効果を生じさせた(当時の状況について「サンモニ狙い撃ちにしてきた」 高市氏答弁「補充」とはいうけれど:朝日新聞デジタル、政権批判すると「飛ばされる」 放送法解釈変更、TV局萎縮の実態 | 毎日新聞)。
- さらに、2023年、この解釈変更に関する総務省の文書が明らかになった際、高市氏は、当該文書は捏造されたものである旨主張した(総務省、高市氏への説明「あった可能性が高い」 放送法文書めぐり:朝日新聞デジタル)。
- SNSが放送に代わって(あるいは少なくともそれと並ぶ)主要な世論形成チャネルとなって久しいが、以上のような放送行政における我々の経験からすれば、政府が類似のことをSNSで行うリスクは相当に高いと言わざるを得ない(高市氏は現在他ならぬ経済安全保障担当大臣である)。志田先生が「(検討会に加わっている憲法学者が)国が情報の中身に関わるべきでないとわかっていても、制度がいったん作られると本来の目的を外れて独り歩きする危険性がある」と指摘されているが、放送法解釈の変遷はまさにその危険性を裏付けている。「会社は神田先生ではない」のだとすれば、「政府は宍戸先生ではない」のである(さらに言えば、宍戸先生が政府になったときに現在の発言と整合する行動をするとは限らないというところに問題の本質がある)。そのため、仮に偽・誤情報対策を行うとしても、これらの教訓を踏まえて、十分なセーフガードが必要である。
- 特に、具体的なセーフガードの一つとして、総務省情報通信部門の独立行政委員会化を検討すべきではないか(砂田篤子「通信・放送分野の独立規制機関―海外主要国の例を参考に―」)。情報通信は政治部門の長期的利益と短期的利益が相反する分野の一つであり、独立行政委員会化はその解決策となりうる(曽我部真裕「公正取引委員会の合憲性について」参照。ただし同「検討課題として残された独立規制機関」も参照)。
- なお、仮に総務省情報通信部門が独立行政委員会だったならば、東北新社の件で多数の幹部を失い、現在に至るまで(事務系の)事務次官を出せなくなることもなかったのではないか。また、東北新社の件は外資規制という経済安全保障の問題でもあったが、この件における電波監理審議会の動きについて、委員である林先生の「放送法等の外資規制をめぐる諸問題」を参照。
EUと日本政府のインセンティブ構造の違いを踏まえる必要性
- DSAにせよDMAにせよ、EUは包括的なデジタル規制をしたがるが、これはブリュッセルに特有のインセンティブ構造に影響されている可能性がある。すなわち、EUは「民主主義の赤字」批判に晒されており、かつ、補完性原則に服するため実績作りに使えるような政策オプションも必ずしも多くない。そのような状況では、個別の問題を個別に解決するより、若干無理をしてでも一つの政策パッケージにまとめたほうがやりやすく、かつ、EUの存在意義の証明にもなる。このように、EUのデジタル政策には、EU特有のバイアスがかかっている可能性があるのであり、EU法を参照するにあたっては、そのような可能性を十分に考慮すべきである。
- また、上記の濫用リスクとの関係では、EUは欧州における主要な統治主体ではなく、安全保障政策、治安政策、災害対策も基本的には担っていないことは、重要な事実である。言い換えれば、日本では中央政府に各種の権限が集中しており、かつ、仮に偽・誤情報対策を行うとすればその中央政府が行うことになるため、固有の濫用リスクがあるといえ、それを踏まえてもなお政府がコンテンツモデレーションを命じるべきなのかは慎重に判断すべきである。
安全保障政策は正面から議論すべきである
- ところで、サイバー安全保障との関係でも書いたが、現在の政府には、安全保障政策を隠蔽する傾向があるように思われる。当初「安全保障法制」と呼んでいたものを「平和安全法制」と言い換えるようになったのもそうであるし、特定秘密保護法とほぼ同じである重要経済情報保護活用法案(セキュリティクリアランス法案)を新法としたのもそうである。冒頭に書いたように、偽・誤情報対策において経済安全保障が正面から語られないのもそうであるかもしれない。
- しかしながら、自衛隊の保有もそうであるが、安全保障政策は他ならぬ国民のためのものであり、国民が主体的に、自分のこととして決定する必要がある(それは、民主主義を維持するには、国民にも一定の努力が求められるということでもある)。我が国の教育は世界的に見れば成功しており、国民は全体として見ればそれに耐えうる理性を有しているはずである。政府はそのような「国民の的確な理解と批判」を支援するために、可能な限り丁寧な説明を行うべきであるし、そうすることによって安全保障政策に関して民主主義の基礎づけを得るべきである。逆に、抽象的な不安だけで情報を隠蔽し、それによって民主的政治過程が阻害されることがあるとすれば、何のための安全保障か分からなくなってしまう。
- なお、自民党の提案する憲法改正は、合区解消(これは正当化されないと考える)を除いてほとんど意味がないのではないかと思っていたが、最近は、9条に関しては、国民が安全保障という重要政策について主体的に議論し決定する機会として活用するのであれば、意味があるのではないかと思っている。
- 政府は特定秘密保護法・平和安全法制のときのような混乱を懸念しているのだと思われる。しかしながら、それらは安倍政権の不誠実さ(政策の正当性は別として)によるところが大きく、むしろ、経済安全保障推進法や重要経済情報保護活用法が混乱なく成立したのは、岸田首相や小林前大臣の丁寧な説明の努力によるところが大きいのではないか。