経済安全保障政策としての偽・誤情報対策の論じ方

総務省の「デジタル空間における情報流通の健全性確保の在り方に関する検討会とりまとめ(案)」について、前回の記事 で検討の方法について若干のコメントをしましたが、その後いくつか思ったことがあるので、それについて書いていきます。

(追記:当初事情を分かっている人向けに書いていたのですが、国民全体に関わる問題だと思ったので「何が起きているのか」を追記しました。能力とリソースの制約のため、それでも分かりにくいところがあるかと思いますが、ご容赦ください。)

 

何が起きているのか(追記)

 

偽・誤情報対策は経済安全保障政策の一つである

  • 検討会ではほとんど言及されていないが、小林鷹之前経済安全保障担当大臣が、偽・誤情報対策は経済安全保障政策の一つであることを明言しているEconomic security is about strengthening and sustaining growth, former minister says - The Japan Times. "What are the most pressing challenges?"との問いに対し、サイバー安全保障の強化と偽・誤情報対策である旨答えている)。
    • なお、このインタビュー記事では、外からは見えにくい(かつ怪しい言説も多い)経済安全保障政策の全体像がかなりクリアに説明されており、ぜひ参照されたい。
  • もちろん、例えば中国政府がSNSを通じて日本の世論を操作し、それによって安全保障政策についての合意形成が阻害されることがあるとすれば、我が国としても放置できない事態なのは間違いないが(米国のTikTok禁止法はまさにこのような懸念に基づく)、政府による濫用リスクが極めて高い局面であることは否定できず、経済安全保障政策の側面があることを明確にした上で、正面から議論すべきである。

 

事実に基づき具体的に議論する必要性

  • 前回の記事にも書いたが、とりまとめ案は、民間の調査結果を特に検証することなく「〜という調査結果もある」という形で引用したり、有識者の発言を特に検証することなく「〜という指摘もある」という形で引用したり、個別的なエピソードの普遍性を検証することなく一般化したりするという手法が目立つ。しかしながら、表現規制、特に表現内容の規制を議論するにあたっては、(規制を正当化するだけの普遍性のある)リスクを具体的に特定し、検討される規制手段が本当に当該リスクの低減につながるのか、つながるとしても他に表現の自由に対する影響がより小さい手段によっても十分な効果が得られるということはないかを具体的に検討する必要がある。とりまとめ案は、コンテンツモデレーションの必要性を前提に、規制手段どうしを比較しているように見えるが(個人的にはその一事をもってしても政府の規制能力に不安を感じざるを得ない)、本当にそのような必要性があるのかどうかから検討を始めるべきである。
  • 例えば、震災時における虚偽の救助要請のエピソードがしばしば語られるが(56ページに引用されている)、情報伝送PF事業者はその真偽を判定する手段を持たないのであるから、それによる救助活動の阻害を防止する上でコンテンツモデレーションは役に立たない。むしろ「間接的・付随的規制」である偽計業務妨害罪による威嚇が有効であろう。

 

これまでの政府のオペレーションの検証の必要性

 

放送行政の教訓を踏まえる必要性

 

EUと日本政府のインセンティブ構造の違いを踏まえる必要性

  • DSAにせよDMAにせよ、EUは包括的なデジタル規制をしたがるが、これはブリュッセルに特有のインセンティブ構造に影響されている可能性がある。すなわち、EUは「民主主義の赤字」批判に晒されており、かつ、補完性原則に服するため実績作りに使えるような政策オプションも必ずしも多くない。そのような状況では、個別の問題を個別に解決するより、若干無理をしてでも一つの政策パッケージにまとめたほうがやりやすく、かつ、EUの存在意義の証明にもなる。このように、EUのデジタル政策には、EU特有のバイアスがかかっている可能性があるのであり、EU法を参照するにあたっては、そのような可能性を十分に考慮すべきである。
  • また、上記の濫用リスクとの関係では、EUは欧州における主要な統治主体ではなく、安全保障政策、治安政策、災害対策も基本的には担っていないことは、重要な事実である。言い換えれば、日本では中央政府に各種の権限が集中しており、かつ、仮に偽・誤情報対策を行うとすればその中央政府が行うことになるため、固有の濫用リスクがあるといえ、それを踏まえてもなお政府がコンテンツモデレーションを命じるべきなのかは慎重に判断すべきである。

 

安全保障政策は正面から議論すべきである

  • ところで、サイバー安全保障との関係でも書いたが、現在の政府には、安全保障政策を隠蔽する傾向があるように思われる。当初「安全保障法制」と呼んでいたものを「平和安全法制」と言い換えるようになったのもそうであるし、特定秘密保護法とほぼ同じである重要経済情報保護活用法案(セキュリティクリアランス法案)を新法としたのもそうである。冒頭に書いたように、偽・誤情報対策において経済安全保障が正面から語られないのもそうであるかもしれない。
  • しかしながら、自衛隊の保有もそうであるが、安全保障政策は他ならぬ国民のためのものであり、国民が主体的に、自分のこととして決定する必要がある(それは、民主主義を維持するには、国民にも一定の努力が求められるということでもある)。我が国の教育は世界的に見れば成功しており、国民は全体として見ればそれに耐えうる理性を有しているはずである。政府はそのような「国民の的確な理解と批判」を支援するために、可能な限り丁寧な説明を行うべきであるし、そうすることによって安全保障政策に関して民主主義の基礎づけを得るべきである。逆に、抽象的な不安だけで情報を隠蔽し、それによって民主的政治過程が阻害されることがあるとすれば、何のための安全保障か分からなくなってしまう。
    • なお、自民党の提案する憲法改正は、合区解消(これは正当化されないと考える)を除いてほとんど意味がないのではないかと思っていたが、最近は、9条に関しては、国民が安全保障という重要政策について主体的に議論し決定する機会として活用するのであれば、意味があるのではないかと思っている。
  • 政府は特定秘密保護法・平和安全法制のときのような混乱を懸念しているのだと思われる。しかしながら、それらは安倍政権の不誠実さ(政策の正当性は別として)によるところが大きく、むしろ、経済安全保障推進法や重要経済情報保護活用法が混乱なく成立したのは、岸田首相や小林前大臣の丁寧な説明の努力によるところが大きいのではないか。