「デジタル空間における情報流通の健全性確保の在り方に関する検討会」とりまとめ案についてパブコメ意見を提出したので公開します。問題意識は経済安全保障政策としての偽・誤情報対策の論じ方 - Mt.Rainierのブログに書いたとおりです。
(当初提出しないつもりだったのですが手が空いた30分くらいで一気に書いて出したところいくつか誤字をしてしまい、下線付きで修正しています。)
意見
(該当箇所)
1頁
(意見)
- 制度整備を検討するにあたっては、リスクを具体的に特定し、当該リスクが実際に(規制を正当化しうる程度の)普遍性をもって存在しているのかを検証し(必要性)、コンテンツモデレーション、システミックリスクのアセスメント・低減措置等の個別の規制が当該具体的なリスクの低減に実際に役に立つのか(関連性ないし適合性)、役に立つとしてそれによって得られる利益はいわゆるオーバーブロッキングや政府の規制権限濫用リスクを上回るのか(相当性)を個別に検討すべきである。
- 1に関して、特に、とりまとめ案別紙315頁のように、リスクを概括的に挙げるのではなく、弊害のメカニズムを具体的に特定すべきである。
- 1に関して、特に、「迅速な救命・救助活動を妨げるような偽・誤情報等」(とりまとめ案56頁)については、情報伝送PF事業者はその真偽を判定する手段を持たない以上、コンテンツモデレーションもリスクアセスメント・低減措置も有効とは考え難いことに留意すべきである。
- 1に関して、特に、偽・誤情報対策が安全保障政策の側面を有すること(令和4年12月16日付「国家安全保障戦略」24頁)を明確に位置づけ、正面から議論の対象とすべきである。
- 1の検討の役に立てるため、警察、厚生労働省、防衛省等が行ってきたインフルエンサーマーケティングを含む情報流通の「適正化」のための取り組みの実態を調査し、その効果、コスト及び課題を検証すべきである。
- 1の検討に役立てるため、Twitterアカウント「Dappi」を含む、民主的政治過程に影響を与える意図をもって行われた可能性のある偽・誤情報の流布について、情報収集を行い、検証すべきである。
- 1に関して、規制の必要性や相当性を検討するにあたっては、EUと日本政府のインセンティブ構造の違いに留意すべきである。
- 7に関連して、特に、欧州においては、安全保障、法執行、感染症対策、災害対策は原則として加盟国の責務であり、欧州委員会がこれらに関連して規制権限を濫用するリスクは小さいのに対し、我が国においては、上記の政策を中央政府が担っており、これまでの情報流通行政、特に放送法の番組編集準則に関する解釈・運用の変遷や、平和安全法制の審議過程における政府の動きに見られるように、政府が上記の政策に関連して規制権限を濫用するリスクが相対的に高いことに留意すべきである。
- 7に関連して、特に、EUは、DSAがそうであるように、デジタル分野において包括的な規制を敷くことを好むが、そこには、補完性原則の下で規制を正当化するためには、何らかのテーマの下で包括的な「パッケージ」を構築する必要があるとのバイアスが作用している可能性があり、慎重な検討なしにEU法を輸入する場合、過剰規制となるリスクが高いことに留意すべきである。
- 具体的な制度整備の方針について、合意形成が困難である場合、まずは現に弊害が生じているデジタル広告の適正化(とりまとめ案別紙第5章、第6章)について制度整備を行い、デジタル広告以外の偽・誤情報対策(とりまとめ案別紙第2~4章)については、政府の情報発信を強化しつつ、制度整備については時間をかけて検討することを検討すべきである。
(理由)
意見中に述べたとおり。
新聞協会のパブコメ意見について
本記事公開時点で、日本新聞協会がパブコメ意見を公開していますが、問題を考える上でよい材料だと感じたので、コメントします。
なお、私は、新聞を3紙、専門紙を2紙、専門雑誌を3誌購読し、Google NewsとTwitterを利用して情報収集を行っており、紙媒体(紙では読んでいませんが)とSNSの双方に高い価値を感じている立場であることを留保しておきます。
- 協会は、新聞社の規制につながらないよう「慎重な検討」を求める一方、SNSに対しては「PF事業者の責務をより強く打ち出すべきである」とし、全体として、プレイヤー(アテンションをめぐるSNSの競争者)としての立場を前面に押し出した主張をしている。それ自体は必ずしも悪いことではないが、SNSを非難するあまり、彼我に共通の基盤である表現の自由を侵食することにならないかは、もう少し考えてもよいのではないか。
- 協会は、「偽情報や誤情報の発信・拡散を容易にするとともに、フィルターバブルやエコーチェンバーなどアテンション・エコノミーによる様々な課題を引き起こしているのはPF事業者のサービス設計によるところが大きい」としているが、このようなキャッチフレーズの扱いには慎重になる必要があると感じる。フィルターバブル・エコーチェンバーという点では、新聞こそそのようなリスクがあるとも言いうるし、アテンションエコノミーという点では、新聞社もしばしば「釣り記事」のような見出しを付けていると感じる。だからといって規制すべきではないというの一般的な感覚だと思われるが、そうであるとすれば、翻ってSNSはなぜ規制してよいのか、合理的な区別は可能なのかをよく考えるべきであると思われる。
- フィルターバブルについてより具体的に言えば、電波の有限性に起因するチャンネルの有限性が番組編集準則の正当化根拠となってきたことを想起すべきである。すなわち、①新聞各社は一定の政治的傾向を有している;②2017年において、複数紙を購読(現代的に言えば「マルチホーミング」)している人は4.8%にとどまる(月ぎめ新聞購読者58.1%…月ぎめで新聞を取っている人の実情(2023年度版)(不破雷蔵) - エキスパート - Yahoo!ニュース);③これは、人々の可処分所得に対して新聞が高価であることに起因している;④(i)2023年において58.1%の読者が月極で契約していること(同前)、(ii)①の政治的傾向により各紙は差別化されていることから、スイッチングコストは高い;これらの事情に照らして新聞にも「紙面編集準則」を課すべきという主張がなされた場合、有効な反論は可能であろうか。
- 協会は、新聞社のサイトに配信される詐欺広告について、「新聞各社はアドベリフィケーションツールを導入するなど、本来広告仲介プラットフォーム事業者が負担すべきコストや労力をかけ、不適切な広告を利用者に発信しない対策に、真摯に取り組んでいる」としている。しかしながら、新聞社は広告収入を得ている以上、当然に「本来広告仲介プラットフォーム事業者が負担すべきコストや労力」とすることには疑問がある。別の箇所では、協会は、「新聞社の広告審査担当者は、日々入稿される広告原稿が法令や倫理に適合しているかを確認し」ているとしているが、それはまさに「読者の信頼に応える」ためであって、広告代理店がその注意を怠っているから不当にも自ら審査することを強いられているというわけではないであろう。
- なお、読売新聞のサイトに詐欺広告が表示された際、読売新聞はアドネットワークの利用を停止せず、「十分ご注意ください」との注意喚起をしたのみであった(サポートを装った怪しい警告にご注意を : 読売新聞、読売新聞にアクセスするとガチの詐欺広告が表示されて危険だと話題に。 - すまほん!!)。仮に「本来広告仲介プラットフォーム事業者が負担すべきコストや労力」だからという理由でそのような対応をしていたのだとすれば、認識を改めるべきであろう。