標記について、若干考えたことがあるので備忘として簡単に書き残しておきます。
- 刑事裁判において、証拠には関連性が必要だとされている。この関連性は自然的関連性と法的関連性に分けられるとされてきており(現在揺らいでいるものの)、証拠が要証事実について最低限度の証明力を持たない場合には自然的関連性が否定されるが、それだけでなく、最低限度の証明力はあるが事実認定を誤らせる危険が相当程度高い場合には法的関連性が否定されるとされている(リーガルクエスト刑事訴訟法第2版357頁)。
- 法的関連性(ただし最高裁はこの言葉を使っていないことに注意)が問題となったケースとして、最判 平成24年9月7日刑集66巻9号907頁がある。同判決において、最高裁は、前科証拠は一律に法的関連性が否定されるわけではないものの、「実証的根拠の乏しい人格評価によって誤った事実認定に至るおそれがない」こと、特に犯人性の証拠とする場合には「前科に係る犯罪事実が顕著な特徴を有し,かつ,それが起訴に係る犯罪事実と相当程度類似することから,それ自体で両者の犯人が同一であることを合理的に推認させるようなものである」ことが必要であるとし、当該事案ではこれを否定した。
- この関連性が個人データの関連性とのどのような関係にあるのか(何らかの有意な関係があるのか、それともたまたま名前が同じだけなのか)を検討する必要があるように思う。特に、自然的関連性が高木連載(9)にいう「役に立つ」という意味での関連性、法的関連性がそうではない意味での関連性に近いようにも思われる。
- なお、上記の前提として、証拠能力と証明力という2つの概念が重要である。
- 証拠の関連性は証拠能力の一種であり、それが否定されると事実認定者の裁量的判断(自由心証)の対象とならない(裁判官は証拠を却下しなければならない)。これに対して証明力つまり当該証拠にどの程度の推認力を認めるかは、事実認定者の合理的裁量に委ねられる。この区別は特に裁判員裁判の対象となる重大犯罪において重要となる。一般的な刑事裁判では証拠の採否(証拠能力はここで判断される)の決定と事実認定(証明力はここで判断される)が時間的に近接して、かつ同一人物によって行われるが、裁判員裁判では裁判官だけで証拠の採否を決定し、後日裁判員が多数となる合議体で事実認定を行う。
- 証拠能力がある場面でも裁判所は必要性なしとして裁量的に証拠を却下できるが、証拠能力を議論する上ではこのことはあまり重要ではない。むしろ、強力な証明力がある(ように見える)場面でこそ証拠能力が争われるからである。前科証拠もそうであり、強力な推認力があるように見えるからこそ問題になる。