公然性を有する通信という概念について

標記について、若干考えたことがあるので備忘として簡単に書き残しておきます。

 

  • SNSは新聞のようなメディアなのか、通信サービスのような伝送インフラなのかが問題とされてきた。これに関して、米国では現在、SNSがリベラルなコンテンツを優先していると主張するいくつかの保守州が、そのようなコンテンツモデレーションを禁止する立法を行っている(プラットフォームをめぐる闘争──とある情報法研究者のアメリカ滞在記|成原慧 | webゲンロン)。一方、日本政府は近時SNSに違法有害情報対策を義務付けようとしている()。ここでは、米国は伝送インフラとしての側面を重視して「検閲」を禁止しようとしているのに対し、日本はメディアとしての側面を重視して「検閲」を義務付けようとしているといえ、興味深い。
    • なお、上記に関連するが一応別の問題として、SNSの責任を限定する連邦通信法(通信品位法)・プロバイダ責任制限法が適切か、刑事法上の共犯規定をSNS(やアドネットワーク、労働者募集アプリ)に対してどのように適用すべきかが議論されている。ここでは、メディアとしての側面を強調すればSNSにも「普通に」責任を課し、伝送インフラとしての側面を強調すれば謙抑的に(例えば確認を行うべき特段の事情がある場合に限って)責任を課すことになる。
  • 上記に対し、令和4年電気通信事業法改正では、3号事業に該当するSNSは、媒介相当電気通信役務として位置付けられ、特定利用者情報規律の対象(となりうる)とされている。ここでは、SNSの伝送インフラとしての側面が重視されている。
  • このようなことをTwitterに書いたところ、成原先生から、1990年代後半に「公然性を有する通信」という概念が編み出された段階で、メディアでもない伝送サービスでもない情報流通プラットフォーム的なものが想定されていた旨のコメントをいただいた(午後0:55 · 2024年12月8日)。すなわち、伝統的には「不特定者向け=放送、特定者向け=通信」とされてきたところ、プロ責法等では、不特定者によって直接受信されることを目的としないが、不特定者によって受信されることを目的とする通信という概念(=公然性を有する通信。プロ責法上は「特定電気通信」)を作り出し、そこに特別の規律を課した。
  • 上記のコメントを読んで、私はこれまで1990年代から2000年代にかけて言われた「放送と通信の融合」とは放送のIP化に過ぎないのではないか(実際「情報通信法」でYouTubeのような動画サイトに放送法並の規制は提案されなかったように;現在検討されている偽情報対策と2000年代後半の通信・放送法制の見直しの関係について - Mt.Rainierのブログ)と思っていたが、実はそれに先んじて通信でもコンテンツレベルで「通信の非公然性」が揺らぐ事態が生じており(すなわち公然性を有する通信というものが現れており)、日本法は既にそれについて一定の対応を行っていたのだな、と気付いた。
  • このように考えると、「公然性を有する通信」の一般法たるプロ責法(令和6年改正後の情プラ法)が2000年代後半の通信・放送法制の見直しの際に議論されたオープンメディアコンテンツの規律のようなものを持とうとすること自体は自然なのかもしれない(その当否はまた別の問題だが)。