話題になっていたのでメモです。かなりざっくりとした個人的理解であることにご留意ください。
(2025/7/12:一部表現を分かりやすくしました。)
憲法13条と35条
- 憲法13条は個人の私生活上の自由として「みだりに●●されない自由」を保障している。この自由は、京都府学連判決で初めて示され、指紋押捺判決、住基ネット判決、マイナ判決の判断枠組みを提供している。
- 憲法35条は、「私的領域に侵入されることのない権利」を保障している。この権利はGPS判決で初めて示された。もっとも、何をもって当該権利の侵害となるか(同判決に即して言えば、プライバシー強保護領域、継続性・網羅性、物理的侵襲のどこに重点が置かれているか)は明らかではない。
- 「私的領域に侵入されることのない権利」を侵害する処分は、強制処分となる(GPS判決)。一方、「みだりに●●されない自由」を制約する(この表現は正確ではないがそれはさておくことにする。)にとどまる処分は、強制処分とはならない可能性がある。
「みだりに●●されない自由」と私法上のプライバシー
- 前科照会判決は、憲法判例ではない。同判決は、「前科等のある者もこれをみだりに公開されないという法律上の保護に値する利益」の侵害を認めたが、その理由として、前科等が「人の名誉、信用に直接にかかわる事項」であることに言及している。このような情報は、私法上のプライバシー権によって保護されるものであり(このような情報を、同判決に付された伊藤補足意見は「個人の秘密に属する情報」と表現し、Google決定は、「プライバシーに属する事実」と表現している。)、「みだりに●●されない自由」が対国家的なものである(京都府学連判決は、憲法13条が「国民の私生活上の自由が、警察権等の国家権力の行使に対しても保護されるべき」ことを規定していると明言している。)のとは異なる。実際、本判決は、京都府学連判決を引用しておらず、一方で、私法上のプライバシー権を被保全権利とする仮処分事件であるGoogle決定は、(「みだりに●●されない自由」に関する一連の判例ではなく)本判決を引用している。
- 早稲田大学判決も、憲法判例ではない(さらに言えば、国賠事件ですらない。)。同判決は、江沢民国家主席の講演会参加者の名簿という、少なくともそれまでの判例によればプライバシー権によって保護されるとは言い難い情報について、「プライバシーに係る情報」として私法上の保護を与えたが、その内実は、「上告人らが任意に提供したプライバシーに係る情報の適切な管理についての合理的な期待」の保護である。なお、ベネッセ判決は本判決を引用しているが、住基ネット判決は本判決を引用していない。
- 以上を要するに、「私的領域に侵入されることのない権利」や「プライバシーに属する情報」の保護は、情報の質(content)に重点を置いており、これに対し、「みだりに●●されない権利」や「プライバシーに属する情報」の保護は、情報の取扱いの態様や状況(context)に重点を置いている、と言えるかもしれない。
憲法判例と監視社会リスク
- 「みだりに●●されない自由」に関する一連の判例は、明らかに監視社会リスクに対処しようとしている。例えば、
- 京都府学連判決が公安警察による写真撮影について「みだりに●●されない自由」との関係を問題としたこと自体がそうであるし(同判決を私法上の肖像権の判例と理解した場合、侮辱的態様を考慮して初めて肖像権侵害の違法性を認めた(と理解されている)法廷内写真撮影事件と整合しないと思われる。)、
- 指紋押捺判決は「採取された指紋の利用方法次第では」個人の権利が侵害されると明言した。
- また、住基ネット判決・マイナ判決は、目的外利用(データマッチングないし名寄せ)のリスクに言及している。
- なお、GPSの判決も、傍論としてではあるが、「被疑事実と関係のない使用者の行動の過剰な把握」の抑制に言及している。
- そうであるにもかかわらず、情報濫用のリスクを正面から統制しようとした判例は存在しない。背景を考えると、
- 京都府学連判決は、収集が許される状況自体を厳格に絞った結果、濫用リスクはあまり問題とならなかったのかもしれない。
- 指紋押捺事件は、権利保障が及ぶことを判示する場面では、上記のとおり利用方法に言及していたが、それが「みだり」ではないとする場面では、そのリスクの統制には言及しなかった。
- 住基ネット判決・マイナ判決は、原告の請求の立て方の問題でもあるが、直接的には開示・公表(漏洩)が問題とされており、目的外利用は傍論の面がある。
刑訴法判例とプライバシー(追記)
- 警察活動に関する憲法判例としては、京都府学連判決(昭和44年)とGPS判決(平成29年)が知られているが、刑訴法・警職法の判例としては、その間に、昭和51年決定(風船をやってからでよいではないか)、昭和53年判決(米子銀行強盗事件)、平成20年決定(ビデオ撮影)、平成21年決定(X線検査)など多数の判例の蓄積がある。
- 上記のうち、昭和51年決定は、強制処分性及び任意捜査の限界に関するリーディングケースとみなされている。平成20年決定は、少なくとも京都府学連判決の射程を限定したとみなされているが、「みだりに●●されない権利」には言及せず、むしろ、昭和51年決定の枠組みで判断している。
- なお、京都府学連事件は、警察官の撮影行為を契機として行われた公務執行妨害、傷害等に係る刑事事件であり、違法収集証拠排除等ではなく、職務の適法性の文脈で、撮影行為の合憲性が(刑訴法違反を介することなく)問題となっていた。その結果、昭和44年判決では、強制処分性は問題となっていない。
- また、京都府学連事件と平成20年の事案の違いにも、留意する必要がある。すなわち、前者は公安事件であり、公安条例に基づくデモ行進の許可条件違反という形式犯の証拠保全のために撮影が行われたのに対し、後者は純然たる刑事事件であり、強盗殺人を含む実質的かつ重大な犯罪の捜査のために撮影が行われた。
- 京都府学連判決とGPS判決の間になされた決定のうち、平成21年決定は、「荷送人や荷受人の内容物に対するプライバシー等を大きく侵害する」という形で、「プライバシー」に明示的に言及している。ここでは、憲法判例は引用されていないが、GPS判決に即して言えば、X線検査が「私的領域に侵入されることのない権利」の侵害を認めたものと理解できる可能性がある。
- 刑訴法の分野では、米国連邦最高裁の修正4条解釈が大きな影響を与えている。そこでは捜査対象者がプライバシーを合理的に期待できる状況にあったかが諸事情から判断され、それによって(強制処分性の要件としての)重要な権利の侵害があったかどうかが判断されるのであるが、この判断過程は、「私的領域に侵入されることのない権利」の侵害の有無の判断過程と実質的に同じである可能性がある。
- 逆に、「みだりに●●されない権利」の侵害を理由に強制処分性を認めた判例は存在せず、「みだりに●●されない権利」は(強制処分性の要件としての)重要な権利とはみなされていない可能性がある。また、昭和51年決定は、任意捜査に比例原則を要求したものと理解されているため、比例原則を求める上では、「みだりに●●されない権利」に言及することは、必須ではない(実際、刑訴法判例で「みだりに●●されない権利」に言及したものはない。)。
- もっとも、「みだりに●●されない権利」もまた比例原則を要求するものだとすれば、「みだりに●●されない権利」は、むしろ、法律自身が国民の私生活上の自由を侵害しており、昭和51年決定が刑訴法197条1項本文について示したような法律の柔軟(かつ憲法適合的)な解釈適用によってその侵害を回避できないようなケースで、法律に「外在的」な統制根拠として機能しうると思われる。
その他
- なお、データライフサイクル的な発想(収集、利用、開示・公表)が浸透している気がしますが、この分類に大した意味はなく、違法収集証拠排除であれば収集行為の違法性の考慮要素として収集後の濫用リスクを主張し、差止めであれば利用の差止めを求めた上で(なお、収集の差止めでもよいのですが、住基ネットの場合、基本4情報は住基ネット以前から把握されているので収集は止めようがなく、個人番号の場合、J-LISと自治体が一方的に振るものなので、やはり止めようがないはずです。警察のDNA型のように、収集時にあった必要性が事後的に失われたようなケースでも、利用を止めるしかありません。逆に、違法「収集」証拠排除法則と異なり、差止めの対象はひとまず原告が自由に選べるので、収集に全てを織り込む必要もありません。)、その理由として、漏洩(=違法な開示・公表)リスクが問題なら漏洩リスクを主張し、濫用(=違法な利用)リスクが問題なら濫用リスクを主張すればよいと思います。
- また、このように具体的なリスクを主張できる限り、少なくとも「みだりに●●されない自由」は拡張可能であり、例えばマイナンバー判決では主として漏洩リスクが主張されましたが、これとは別に、濫用リスクを正面から問題とすることも可能なはずです。
参考文献
ひとまず、斉藤邦文『プライバシーと氏名・肖像の法的保護』、緑大輔『刑事捜査法の研究』を読まれるとよいと思います。